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校長先生への手紙で美しいことばを!「国語能力」の低下が嘆かれるイタリアで、ある小学校のイニシアチブが話題に!

校長先生への手紙で美しいことばを!「国語能力」の低下が嘆かれるイタリアで、ある小学校のイニシアチブが話題に!
参照 : pixabay.com
イタリア中で議論されている若者たちの「国語能力」の低下。2017年2月4日には、全国の大学・教育機関の教授や学者たち600人が、『国として教育機関に対し処置を行うべき』という訴えに署名した訴状を政府に提出し、ニュースになりました。そんな中、面白い活動を始めた小学校のニュースを見つけました。
校長先生への手紙で美しいことばを!「国語能力」の低下が嘆かれるイタリアで、ある小学校のイニシアチブが話題に!
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全国的な子どもたちの国語力の低下に、国として対策を求める署名運動はフィレンツェの大学から始まり、イタリア全土に広まりました。この署名には、有名な言語学者や歴史家、哲学者も参加。大学生の書く文章の多くに、文法や構文、果ては語彙にいたるまで、小学校3年生レベル(イタリアでは8歳)の間違いが見られると嘆いています。ジャーナリズムを専攻している学生ですら、SMSで書くような拙い文や略語ばかりのイタリア語しか書けない…と。

イタリア全土での国語力低下の一因は、教育システムの不備!? 低質なマスメディア?

原因は、教育機関における体系的な指導システムが機能しておらず、指導要綱でも「正しい国語」というテーマは軽視されてきたため。国として「緊急な措置」が必要だと警鐘を鳴らしたのです。さらに、これはイタリアだけに関わらず、70年代以降の欧州全体の文化的、教育的、政治的な影響やマスメディアを原因とする人も多々います。

政府が動かないなら、自分たちで!

そんなイタリアで、教授たちの警鐘に呼応するかのように動いた人たちがいました。全国紙レプッブリカのネット版のトリノ市紙面に、とある”活動”のレポートが寄せられたのです。それは、トリノの「ペイロン」小学校の教師たち。同校の4年生(イタリアでは9歳)の子どもたちが、校長先生宛に手紙を書いたというのです。目的はもちろん、正しい書き方でイタリア語をつづる練習のため。手紙はこんな風に始まります。

“Gentile preside, le scriviamo perché è stata scelta come destinataria della nostra lettera formale, affinché possiamo esercitarci ad utilizzare il ‘linguaggio cortese e rispettoso’, caratteristico di questo tipo di lettera”

(校長先生殿、貴方にお手紙を差し上げるのは、このような類のお手紙に必要な、礼儀正しく敬意に満ちた言葉遣いの練習をする機会があるようにと、私たちからの正式なお手紙の受取人として貴方をお選びしたからです)

出典:m.tecnicadellascuola.it
この手紙を受け取った小学校の校長先生、ティツィアーナ・カテナッツォ女史は、このことをオンライン新聞に投稿しました。現場の人々が動いていること、その情報を広めることで、少しでも現状を変えられるのではという切なる願いが込められているように思います。 手紙には、子どもたち自身も、「自分たちが正しく文章を書けず、校長先生に対して適切な言葉遣いが出来ないのではと心配している」と記されています。

教育機関への負担

イタリアでは、続く不況や政治家の汚職問題などの負の影響を、教育機関が被っているのが現状です。専任の先生の数が減らされたり、課外活動に当てられるための国や市からの支援金が減ったり。公立の義務教育機関でも、お金が足りなくて暖房が付かない、トイレットペーパーもなく、各家庭から持参する…などという嘆かわしい状態なのです。
出典:pixabay.com
けれど、そういう中でも、逆にそういう中だからこそ、児童の指導にやる気や情熱を失わず、少しでも現状を変えていこうと尽力する先生や教員がいるということが、私たち親にとっては有難いことです。

日本ではどうだろう?

日本でも近年、子どもばかりではなく大人の日本語の乱れがあちこちで指摘されていると思います。でもそれに対して、国はもちろん、各学校、各クラスで何かをしようという動きはあるのでしょうか?先生も親も、子ども自身も、こういう問題を一緒に考えたり話し合ったりする機会があるのでしょうか?
出典:pro.foto.ne.jp
2020年の東京オリンピックを前に、現在学習指導要領の改定作業が進められている日本。中心となるのは英語の授業の充実化と言います。現在は5、6年生で週に1回行われている英語科目が3年生から始まるとか。しかし、英語にばかり気をとられ、肝心の国語教育がおろそかにならないか、と危惧を覚える専門家も多々います。

国語力は思考や表現と切っても切り離せない。すべての学力を支える。子供たちの語彙力低下が心配される中で、国語の授業こそ充実させるべきである。

出典:www.sankei.com
調べてみると、日本国内の市や県、自治体などでも国語力を高めるための活動を行っているところが多々ありました。皆さんの周囲ではいかがでしょうか?また、ご家庭でこういう話題に触れることはありますか?
私見ですが、イタリアの小中学校については、同じ義務教育機関でも各校が独自の自由裁量でさまざまな活動を決めているんだな、という印象を持っています。もちろん基本的なカリキュラムや国指定の教科書などはありますが、担任の先生のやり方によって授業の進め方も宿題の量も、テスト(口述試験も多い)も採点の仕方も、一律ではないようです。校長先生の意向で、音楽や芸術活動に力を入れている学校など、同じ町の同じ公立学校で色々な違いがあります。これにはもちろん良い面悪い面あるとは思いますし、私の子どもはまだ幼稚園児なので実際に入学してみないと分からないこともあるでしょう。でも、このトリノの小学校のように、現状に対応しよう、変えていこう、という活動をすぐさま独自に取り入れてPRできるのは凄いな、とニュースを読んで思いました。
子どもの国語力を向上させるためには、もちろん子どもたちの努力とやる気が重要ですが、教師たちによるサポートも必要不可欠です。上記の小学校のカテナッツォ校長先生も、「イタリア語の教育については、毎日、大変な労力を費やして」いると言っています。今回の手紙も、1通書いたから良いというものではありません。これからずっと、時間をかけて、教育の現場でも家庭でも、大人も子どもも一緒になって取り組んでいかなければいけない課題なのだと思います。