トップモデルを引退してでも守りたかったこと。冨永愛が人生最高に輝きを放つ理由
日本を代表するモデルとして、世界のランウェイを渡り歩いた冨永愛さん。クールビューティーの印象が強いですが、自叙伝でいじめ、貧乏、モデル時代の偏見・差別に苦しんだ過去を告白。彼女をトップモデルへ駆り立てた動機、シングルマザーとしての葛藤が明かされました。
【1】鮮烈なモデルデビューを果たした 冨永愛さんのプロフィール
・1枚の宣材写真が国内外の大物の目にとまり、世界への道が開かれた…
・モデルデビューは中学3年生の時
・海外デビューは2001年、当時19歳
・同年、NYコレクション、パリ・オートクチュールに出演
・人気絶頂期の2004年秋に、妊娠・結婚を発表し一時休業
・2006年SSシーズンで復帰
・2010年3月に海外モデル引退の宣言
・同年の秋ルイヴィトンとの独占契約でのパリコレ出演を最後に日本へ帰国
・この雑誌がきっかけとなり、NYファッション界へ進出…
毎日のように飛行機に乗ってニューヨーク、ミラノ、ロンドン、パリを駆け巡っていたトップモデル時代
【2】トップモデルへと上り詰めさせた原動力は「壮絶な怒り」だった…
◎華やかな舞台の裏に隠れた過去を告白: 自叙伝『愛なんて 大っ嫌い』
「学校は毎日、地獄のようだった…」
モデルとしては圧倒的に有利な長身ですが、冨永さんのコンプレックスであり、小学校時代に経験した「いじめ」の原因だったそう。モデル活動を開始した高校時代になっても続いたという。貧しい家庭に育ち、母は結婚と離婚を繰り返し、3人姉妹の父親は全員違う事実…不遇な環境は、徐々に冨永さんの「怒り」「孤独感」負の感情エネルギーを増大させた。
モデルを仕事にしようと思ったきっかけは、背が高い事のコンプレックスが理由。自分が嫌いだった。でも、そんな自分がいやで、どうにかして変えたかった。
出典:www.fashionsnap.com
「心はどんどん閉じこもってしまって、"本当のわたし"は、誰にも見せない、誰にも知らせられない、と思うようになった」
出典:www.excite.co.jp
モデル時代にも経験したいじめ…「アジア人として差別や偏見にあった」
「アジア人には黒しか似合わない」って言われたこともありました。ものすごく屈辱でした。モデルとしてやっていくのに、黒しか着れないなんてあり得ない。だからオーディションでは派手な原色の洋服を着たりして黒は絶対に着ませんでした。そういったことがあったからこそ、それがエネルギーとなり、やってこれたんだと思います。
出典:news.livedoor.com
【3】転機となったパリ在住の一般人男性との結婚、2005年愛息子を出産
・産後6か月でモデル復帰、スタッフのアイデアで息子さんも一緒にランウェイへ…
結婚男性とは2009年には離婚。シングルマザーになったことで経済的な問題や今後の不安を抱え、2013年には過労のため入院。しかし、これをきっかけに冨永さんは、毎晩息子と一緒に病室で寝るなど穏やかな時に人生を振り返り、このように感じたそうです。
「憎しみに明け暮れていた十代後半。自分自身をのろい、自己を否定し自身を愛してこなかったこれまでの生き方。そして母への憎悪。それらすべてが浄化されていくのを感じた」
出典:www.excite.co.jp
【4】トップモデルを引退してでも守りたかった「一人息子と過ごす時間」
海外でコレクションモデルに加え、日本での芸能活動も多忙を極めた冨永さん。シングルマザーとして仕事に精を出した結果、犠牲になったのは「息子さんとの過ごす時間」だったそう。とある雑誌のインタビューで、本音を告白していました。
小学3年生だった息子さんが苦しそうに漏らした本音… 「生まれてこなければよかった」「お母さんは、僕が必要としてるときにいなかった」
『気づけば、母の愛を渇望した幼いときの自分と同じ思いを、息子にもさせてしまっていた』
出典:cocolocat.cocolog-nifty.com
最愛の息子さんの言葉がきっかけとなり、「いったい私、何をやってきたのだろう…」と気づいたそう。そして親子の絆を深まり距離が近づく様、空手大会の応援に積極参加したり、極力夕方以降の仕事は入れないようにして、息子さんと過ごす時間を増やし“信頼関係”を次第に取り戻していったそう。
【5】もう一つの「母子奮闘記」…次のステップを踏み出すきっかけともなる“母との和解”
3歳の時に離婚し、母親に引き取られた冨永さんは、毎日忙しく働く母に悩みを打ち明けることが出来なかったそう。しかし、「本当はこんなにも母に愛されていた」事に気づくのです。ある番組で公開されたお母様から愛さんへ、29年間の想いを綴った愛情溢れる手紙が書かれていました。いじめに気づけなかったこと、厳しい門限への反発に家出をした時の事…娘への謝罪と励ましの言葉に、母子の確執も薄れていくのです。
「母の愛情」「母としての愛情」2つの“絆”を確信した冨永さん。トップモデル時代の「怒りに満ちた」険しい表情はなく、包容力ある優しい笑顔へ…
彼女が人生最高のオーラを放つ理由、それは「母としての気品」なのかもしれません
◎途上国の乳産婦と子供を救う、ボランティア活動・親善大使として活動も
途上国では、妊娠の仕組みや病気のリスクを正しい教育、出産についての勉強会を現地のスタッフを通して啓蒙しているそう。冨永さん自身も年に1回現地に行き現状を確かめ、事実を伝えるために自分自身が広告塔となり世界を駆け巡っているそう。
現在、アートセラピーという資格取得の勉強中。子供たちの深層心理を「絵を描く事」で見抜き、ストレスの早期発見に役立てる手法。
出典:thisisenglish.jp
今後、自分自身の子育てにはもちろん、ジョイセフや東北の子供達にも活かしたい。
・最新の活動内容やギャラリー情報も満載です